迎春記

しがないゲイの日常

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やっぱり日記はブログで書こうかな(#55_『さみしい夜にはペンを持て』)

古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』という本を読んだ。古賀さんの本を読むのは、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』に続きこれで4冊目。本作は日記を書くスキルを物語形式で学べる本になっている。

物語の主人公は学校でいじめられて悩むタコジロー。学校に行けず公園で悩んでいると、そこでヤドカリのおじさんに出会う。タコジローはヤドカリのおじさんから日記を書くことを教わり、徐々に自分の本当の気持ちと対話する術を学んでいく。13歳の中学生に向けに書かれた本らしい。でもこれは大人にこそ刺さる本だと思った。SNSで読んだ人の感想を見ているとそういったコメントも多かった。年を重ねるごとに他人から求められる文章を書く器用さが染み付いてしまっているからこそ、本作の説く自分の言葉で書く術がよく刺さる。

 

そして、私にとっては昨今の日記に対する悩みを解消してくれる本だった。

 

ちょうど1年前、日記屋 月日さんが主催した「第2回 日記祭」で、はてなブログ企画のアンソロジー本にこのブログの日記が掲載された。

これが嬉しくて「今年は日記たくさん書こう」と思っていたのだが、そのモチベーションは予想以上に長くは続かなかった。一番の原因は毎日書くネタが見つからないことだった。一般的なサラリーマンの私にとって、一日は自宅と会社の往復で終わる。「今日も昨日と変わらない1日だったなぁ」という気持ちから始まり、何か昨日と違うネタを見つけなければと苦しんでいると、やがて「そもそも日記なんて書く意味あるのかな」という不安がブレーキとなって更新が止まった。

だから本作でタコジローくんが全く同じ悩みを持ってくれてありがたかった。

日記って、なにを書いたらいいのかわからないし、けっきょく毎日同じ内容になっちゃうんだもん。

これについては、〈出来事ではなく「考えたこと」を書く〉〈全体よりも細部を見つめる〉〈世界をスローモーションで眺める〉といったアドバイスが効いた。本作を読んだ後に試しに10日間日記をやってみたのだが、例え自宅と会社の往復をするだけの繰り返しの5日間でも、同じことを考えていた日は1日もなかった。いままで毎日頭の中に流れていた思考をいかにスルーし続けてきたか。勿体なかったなと思った。

 

「そもそも日記なんて書く意味あるのかな」という不安に対しては、思わぬところで自分なりの答えを見つけることができた。この本のことをもっと知りたくて参加した、刊行記念のトークセッションでのことだった。古賀史健さんのトークのお相手でライターの古賀及子さんが、日記についてこう言っていた。

日記って、後になって読み返してみると、その時はバラバラに思えたことが実はつながっていたと気づくことができるんですよね。日記を書くことで未来の自分へ"申し送り"ができる。

申し送り。この言葉を自分はずっと探していた気がする。日記を続けることに不安になった時に「きっといつか役に立つんだ!」と踏ん張る勇気をくれる言葉だった。そんな言葉を日記を続けているプロのライターさんが言ってくれたのだから、こんなに頼もしいことはない。

 

ここまでで私の日記に対するお悩みはすっかり解決した。のだが、このトークセッションでは新たに引っかかることもあった。

 

それは、お二人とも日記とは「ブログのようなネット上で公開するもの」という前提で話していたことだった。本作を読んだ直後は、ここで語られる日記とは当然「誰にも見せない個人的な日記」のことだと思っていたのに。誰かに見せることを意識したら、自分と正直な対話なんてできないんじゃないか?と思った。

でもこの疑問については、ちょうど質疑の時に「日記を書くことと日記を公開することには別のハードルがあるんじゃないか」と質問してくれた人がいて、それに対する古賀史健さんの答えを聞いてスッキリした。

私は誰かに日記を公開しようとしたとき感じる歯止めというのは、必ずしもネガティブなものだとは思わない。

例えば、誰にも見せない日記には、固有名詞が出てきたり、ときには攻撃的な言葉が出てくる。でも、その文章を公開するとなったとき、攻撃的な言葉を別の言葉に言い換えられないかと考えたり、別の視点がないかを探ったりするんです。どんなことも100%嫌いということは中々ない。嫌い以外の部分にも目を向けるようになる。確かに本音が書けないという側面もあると思うんですけど、"公開するからこそ見つかる本音"というのもあると思うんですよね。

公開するからこその本音。そんなものがあるとは思わなかったけれど、ブログを書いてきた経験を振り返ってみると思い当たる節はある。「これ誰かが読むんだよな」と思って書いているうちに、最初書こうと思っていたことが、別のところに着地することがよくあった。いや、よくどころではない。毎回そうだったと思う。

 

本作を読んだ時点では、来年書く日記はブログじゃなくて個人的な日記帳にしてみようと思っていたけれど、この言葉を聞いてやっぱりブログで続けようかなと思っている。誰かに読んでもらうために言葉を選ぶ過程こそ、まさに〈ことばを決めるのが早すぎる〉文章にしないための過程なんだと、本作の言葉がより染みてくる回答だった。トークセッションも行って正解だったなぁ。

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