室伏選手がハンマーを投げるときに「うおおおおおお!!!」って吠えるシーンが印象的だが、あの咆哮が使い分けられていることはご存じだろうか。
ハンマーを空気を切り裂くように投げるときには「いええい」。さらに力を入れるときは「ぎええぎ」。空気をつなぐように投げるときは「おううお」。さらに力を入れるときは「おぐぐお」と濁音を入れるのです。
知らなかった...。全て「うおおおおおお!!!」だと思っていた。それだけじゃない。他の動きにも全て理由がある。回転運動の開始時に使う筋肉や回転運動中に使う筋肉、そして最後に最大速度で投げるときの筋肉、そのそれぞれの動き方。サークルでの助走の取り方。そんな当たり前のことから、靴紐の結び方、滑り止めの付け方のような、周辺のルーティンまで。きっと本書に書かれていないようなことも全て意味があるのだろう。グリップの握り方、呼吸の仕方、目の開け方。何を聞いても、きっと即答で答えが返ってくると思う。あぁ、これがアスリートなのかと、そう思わずにはいられない。本書はそんな室伏選手が、「ゾーンの入り方」を語ったものだ。
「ゾーン」とは、本書で下記と説明している。
集中力が極限まで高まって、心技体が完全に調和して、ほとんど無意識な状態なのに最高のパフォーマンスが発揮できる状態。
つまり本書で語られる主なトピックは、「集中力」と「心技体の調和」。集中力については、そもそも集中力とは何か("風林火山")、集中できないときにはどうすべきか("目的と目標は描けているか")、集中するにはどうすれば良いのか("夢中になれる楽しさを見つけられているか")と言ったことから、集中力と練習の質との関係まで。他にも、集中しすぎることの懸念点も述べている。
心技体の調和については、感覚とデータの両方が大事だと言う。そのくだりでは、ハンマーを磨くエピソードが紹介されていた。そのエピソードというのが、身体教育研究所の野口裕之先生のアドバイスのもとで、毎日ハンマーを磨き、ハンマーと向き合い、ハンマーの気持ちになったことで、記録が伸びたというもの。そんなの気持ちの問題ではと思ったが、そこにも科学的な説明があった。詳しい科学的な説明を読んでも僕はしっくりこなかったけれど、練習後に感覚と体がバランス良く使えていたかを図る目安として「いい疲れを感じたかどうか」と言う点に挙げていることで、なんとなく腹落ちはした。いい疲れを感じる経験は僕にも経験があったからだ。
1日中パソコン作業をして頭がぼんやりして帰った夜、帰宅後に5kmくらい軽くランニングしてからベットに入るととても気持ち良い気分になるのだ。ベットに少しずつ体が沈み込んでいって、一体化していくような。そんな気分。あー心地よいな、と感じたと思ったら、すぐに眠りに落ちる。そうやって眠った翌朝は、とても気持ちよく目覚めることができた。きっとその状態のことを言っているんだろう。
それにしても、室伏選手はアスリートなのに、何故こんなに文章が科学的で明解なんだろうと思ったら、ハンマー投げの選手であると同時に、大学の講師であり、スポーツ科学の研究者であることを知った。納得。
以上は、ゾーンに入るために自分で意識するべきこと。しかし、上記を意識するだけではゾーンに入れる場合と入れない場合がある。何故か?
それは、人間は常に変化している「外的要因」の影響を受けてしまうからだ。外的要因にも対応出来なければ、大事な場面で安定的にゾーンに入ることは難しい。
誰しも自分のスタイルというものがあり、自分の戦い方があり、自分のルーティンというものがあるでしょう。...(中略)...しかし、そうした「自分なり」のものが強すぎると、外的要因で「自分なり」のことが成り立たない場合、力を発揮できずに終わってしまうことがあります。
常にどんな状況に置いてもゾーンに入るためには、自然体になることが大事だと述べる。室伏選手は、自然体になることを「その場に馴染む」と言う言葉で説明している。
「どんな状況に置かれても、その場に馴染むことができれば、自分の本来の力を出すことができる」
どんな変化も積極的に受け入れ、その場に馴染む。日頃からどんな状況にも対応できる訓練をして準備をしておけば、自分の中の拒絶反応はだんだん起こらなくなっていく。
こういう考え方について書かれた抽象的な本は、読んだその時は満足するけれど、読み終わって本を閉じると途端に忘れてしまうことが多い。しかし、室伏選手は読めばすぐにできる具体的なエクササイズも紹介してくれている。集中状態に持っていく呼吸方法、神経、感覚を磨く新聞紙を使ったエクササイズ、日常動作の中で全身と全力を出すための方法、イメージ通りに体を動かすトレーニングなどなど。もちろんそれらの方法が何故効果的なのかの理由つきで。
サラリーマンの僕でも、転用が可能なノウハウが詰まった本でした。おすすめです。