迎春記

― しがないゲイの小噺 ―

『正欲』あらすじと感想【朝井リョウ】

f:id:heckyeah_dude:20220131163229j:image

去年からすっかり積読状態だったのこの本ですが、2022年の本屋大賞にノミネートされたということで読んでみました。簡単にあらすじ紹介と感想です。あらすじの方は"簡単に..."というか結構しっかり書いてしまったので、事前情報無しで読みたい方は、感想までジャンプ推奨です。

あらすじ

本作の物語の始まりは、2017年12月2日、天皇が生前退位する日が決定した日である。平成時代に続く新たな時代が始まることが決定したその日から始まり、3人の登場人物を軸に進んでいく。

啓喜(ひろき)

登場人物の一人、検事として働く啓喜は、これまで自分の歩んできた人生こそ、"正常ルート"の人生だと思って疑わない。

息子の私立小学校合格に、内装にこだわった一軒家。それらが揃ったとき、啓喜は、これまでの四十数年の人生がまるでパズルのように美しく組み合わさったと感じた。

しかし、一年半前から自分の小学生の息子が突然不登校になってしまったことで、そのルートからの脱線が始まった。検事としての仕事上、様々な犯罪加害者を見てきた啓喜は、社会のルートから一度外れた人間の転落の速さを知っている。何とか早く元のルートに戻さなければ。焦る啓喜。

子どものやりたいようにやらせてあげたい。子どもの考えを否定したくない。啓喜ももちろんそう思っている。でも同時に、子どもの過ちを指摘するのも親の役目のはずだとも思っている。

しかし、当の本人はそんな啓喜を後目に、学校に通うことにはもう、意味がないと謳う小学生インフルエンサーに次第に傾倒していった。妻も、「ユーチューバーになって欲しいわけじゃないけど、Youtube始めてからよく笑うようになった」と息子の味方だ。そんな家族内での二対一の構図の中、啓喜は自分の考える"正常ルート"が本当に正常なルートなのか、次第にわからなくなっていく。

夏月(なつき)

二人目の夏月は、他の誰にも理解されないであろう指向を隠しながら生きている。それゆえ、学校卒業後は知り合いのいない職場を探し、人生単位で会社と繋がらない雇用形態で働くことを選んだ。その結果、実家近くにあるショッピングモールの寝具店で販売員として働いている。面倒くさい人間関係も、仕事のプレッシャーもない環境には満足はしているが、他人との関わりがほとんどない夏月にとって、年間イベントに合わせて様変わりし、誰かと楽しむために人が集まるショッピングモールという場所は、自分の馴染みある場所になることはなかった。

地球に留学しているみたいな感覚なんだよね、私。

しかし、人との関わりが希薄な夏月にも、時折思い出してしまう人物がいた。中学時代、校舎裏の水飲み場で自分と同じ指向を持っていることを確かめ合った人物である。夏月は何かに引き合わされるかのように、その人物と二回、偶然の遭遇をすることになる。一回目は強引に誘われた同窓会で。二回目は、夏月がこの世から去るためアクセルを踏み込もうとしたそのフロントガラス越しに。

二回目の遭遇をしたとき、夏月はその相手もまたこの世から去ろうとしていたことを知る。そしてその日、相手からこんな提案をされたのだ。

「この世界で生きていくために、手を組みませんか」

夏月はその提案に合意し、名前とその特殊な指向以外何も知らないような相手と不思議な共同生活を始めることになった。いずれ何か問題が起きれば、薄氷が割れるように瓦解してしまう関係だということはわかっている。それでも、"会話ではなく、対話ができる"初めての相手の存在は、夏月の人生との向き合い方を少しずつ変えていく。

八重子(やえこ)

三人目の八重子は、大学で学祭の実行委員を務める女子大生である。八重子は男という生き物を怖いと思っていた。太りやすい体質のため、男子からは視線でも言葉でも傷つけられてきたからだ。八重子はいつしか、男子から視線を向けられるだけで拒絶反応を示すまでになっていた。

しかし、そんな八重子の生理反応の例外となる男子が一人だけいる。同じ大学のダンスサークル『スペード』に所属する大也(だいや)である。高身長で筋肉質な大也は、見た目だけで言えば、常に八重子のことを見下してきた側の人間に見えるのに、彼と目が合ってしまったとき、なぜか拒否反応は起こらなかった。

どうしてだろう。この人の視線は、他の男の人に比べて、怖くない。

『スペード』のSNSアカウントをフォローしたのをきっかけに、気づけば投稿された写真の中から大也の姿を探すのが八重子の日課になっていた。学祭が大盛況に終わった後のアフターパーティの会場でも、自然と大也の姿を探してしまう八重子。学祭のメインイベントでパフォーマンスを務めた『スペード』のダンサーは全員招待されているはず。なのに、大也は見つけられなかった。

代わりに八重子の目に入ったのは、パーティの会場内を自然に動き回り、異性との交流を楽しむ友人や先輩の姿だった。八重子は改めて冷静になる。やっぱり自分はみんなと同じように恋愛や結婚できる気がしない。昔も今も、女性に嫌な思いをさせるのは男性のほうが多いのに、なんで男性を好きになるのだろう。そして悩む。こんなことを考えているのはきっと自分だけだ、と。

いっそLGBTQに生まれていればよかった、と一瞬でも思った自分に驚いた。

八重子の目には相変わらず、世の中を構成する最小単位は恋愛感情で繋がっている異性同志の二人組であるように見えていた。その単位を元に家族をはじめとする様々な制度が構築されているし、まずはその単位になることを目的に走れと様々な方向から促され続けていると感じていた。そして、そのことにこんなにも悩むのは自分が異性愛者だからだと思った。だから自分には様々な選択肢がある。だったらそんなもの、いらない。

こんなことを思ってはいけない。パーティ会場の端で必死に自分を律していると、大也と共に『スペード』の渉外を務めていた女子が話しかけてきた。すると彼女は、八重子の気持ちを知ってか知らずか、大也は実はゲイかもしれないということを仄めかしてきたのだ。もしかして、自分はいま失恋をしたのか。しかし、不思議なことに八重子の心は、失恋のショックよりも大也へのより一層の親しみで満たされていた。

学祭の準備の中で、気の合う仲間に自分の悩みを打ち明けることで辛さが軽くなることを実感していた八重子。きっと大也も今、"自分だけ..."と誰にも言えない悩みを抱えているに違いない。そう感じた八重子は、積極的に大也と関わりを持とうと動き出す。

YouTubeやSNSなど、平成の間にすっかり浸透した新しいプラットフォームに動かされたこの3人の人生は、令和に変わってから2か月後に起きたある事件を交点に交わりあうことになる。しかしその交わる様子は、同じく平成に浸透した「多様性」という言葉の中では真の姿をとらえられないものであった。

今ではすっかり収まりの良い言葉になってしまった「多様性」という言葉に対して、作者が違和感をぶつけた一冊。

 

感想

まず思ったのが、きっとマイノリティ側の人間ではない作者が、何でこんな文章書けるのだ...!ということです。それくらい、ゲイである僕が昔自身の他人とは違う性的指向に悩んでいた時期に、頭の中をぐるぐるしていたもやっとした気持ちが言葉になって出てきました。特に夏月パート。

たった一つのことを隠しているだけなのに、その一点が人生のすべてと繋がっているから、誰とも対話ができなくなる。会話はできても、対話が出来なくなってしまう。

とか

どこにいても、その場所にいなきゃいけない期間を無事に乗り切ることだけ考えている。誰にも怪しまれないままここを通過しないとって、いつでもどこでも思っている。

とかね。

あとは、最近自分の会社でもよく「多様性」とか「ダイバーシティ」という言葉を使われるようになりましたが、その度にマジョリティ側の人間がマイノリティ側の人間に対して、"君たちも受け入れてあげるよ"と言っているいうような上から目線を感じて、もやっとしていたのですが、そんなモヤモヤも見事にスカッと晴れさせてくれました。

彼氏彼女と言わずに大切な人と呼んでいるという、小手先の言葉選びによる多様性の尊重が礼賛される時代に、氾濫させられない叫びをかみ砕きながらどうにか割いってくしかないのだろうか。

多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。

しかし、この一刀両断には、僕自身もぶった切られました。ゲイである僕でさえも、自分はマイノリティ側の人間だと思っていること自体、「多様性」という言葉の差す範囲への想像力が足りないんだなって。

セクシャル・マイノリティの方はもちろんですが、"こんなことに悩んでいるのは自分だけでは..."という何かを抱えているすべての方におススメの一冊です。