迎春記

― 手持ち無沙汰なあなたに贈るゲイの小噺 ―

10年目

昼過ぎに何気なくテレビをつけると、震災から10年目を取り上げた特番がやっていて思わず見入ってしまった。僕個人にとっては濃密で長い10年だったけれども、震災という切り口で見てみると、あっという間だったように感じる。

 

番組では、震災直後に津波が宮城県石巻市を飲み込む映像が流れていた。津波は多くの家屋をあっという間に押し流すと、街の高台となる「日和山」の斜面に押し付けて、次々と瓦礫にしていった。津波の映像だけならば、ただただ圧倒されるだけなのだが、その背景には住人の悲鳴や、あぁ...という言葉にならない絶望のため息が聞こえる。これは自分と同じ誰かの、当たり前だと思われた日常が破壊されていく映像なのだと思うと、今でも胸が締め付けられる思いがした。

 

そのほかにも、番組では様々な被災地のあの時と今の様子が流された。今では寸断されていた三陸鉄道の列車が海沿いを走り、何もなくなった街に新しい建物が次々と立っていた。

 

その中に見覚えのある光景があった。海沿いに立つ一本の松の木。

 

『奇跡の一本松』。陸前高田市である。

 

 

僕は以前、陸前高田市にボランティア活動に行ったことがある。

 

今から7年前。震災から3年後のことだ。ボランティアと言っても、会社の新入社員研修の一環で行ったのだから、そこにボランティア精神があったかと聞かれたら自信がない。でも、あの時見たこと、聞いた話は今でも覚えている。

 

僕らが行った時の陸前高田市は、何もないまっさらな土地だった。きっと山積みであったであろう瓦礫が一切片付けられ、まっさらな土地になっていた。海沿いの方は盛土がされ高さがかさ上げされている。街を走るのはほとんどが工事関連の大型車。かつて街があった場所とは到底思えず、初期の建設現場にでもいるような心地だった。

 

そこで僕らは「遺留品捜査」をやった。土を掘って、残された物品を探す。僕らがその時立っていたその場所も、いずれは盛土がされて二度と探すことができなくなるらしい。同伴してくれた現地の方からは、どんな小さな破片でも誰かの持ち物だと思って大切に扱って欲しいという説明を受けた。

 

すでに震災から3年経っている。これだけ整地された場所で何も見つかるまいと思っていたが、ほんの数かきしたところで小さな陶器の欠片のようなものが見つかった。白地に藍色の模様が入っている欠片。茶碗の一部だろうと思われた。

 

ほんの数年前までは、この茶碗を囲んでいた食卓があったのだと思うと、込み上げてくるものがあった。だが、ここで僕が泣くのは何だか違うような感じがして思わず堪えてしまった。震災から3年、特にこれといったこともせず、ここへ来たのだって自分の意思ではなく、会社の"教育"として。そんな僕には、ここで泣く資格なんてないと思われた。だから必死で堪えた。

 

今、3月11日になって思い出すのは、あの時触った茶碗の欠片の感触だった。

 

 

今日テレビをつけて本当に良かった。あの日のこと、ボランティアのことが鮮明に蘇ってきた。映像ってすごい。

 

被災した人は震災のことを忘れるはずなんてない。だから被災しなかった僕みたいな人こそ、忘れちゃいけないと思う。あの日のことを。