迎春記

― 手持ち無沙汰なあなたに贈るゲイの小噺 ―

『金閣寺』のあらすじ&感想【三島由紀夫】

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年を取るにつれて年末年始に地元で遊ぶ友人が少なくなり、持て余す時間が多くなってきました。

 

でも1年を通して、こんなに時間のある機会は他に無いので、「今年の年末は普段は読まないような本を読もう」と思い、三島由紀夫の『金閣寺』を読みました。

 

これまで僕の読書と言えば、それはスキマ時間に気軽に楽しむものであったので、時代を超えて読まれる名作のような、"じっくり読み味わう本"というのは中々手の出しづらいものでした。書かれる言葉も何だか難しいですし。

 

ですが、『金閣寺』を読んでみて、これが名作だからというのかはわかりませんが、読んでいる時に色々なことを感じて、それに掘り起こされるかのように色々なことが思い出されました。今日はそんな、『金閣寺』を読んで僕が感じたことの一部を、本書の紹介も兼ねて書きたいと思います。

 

※例によって、 まっさらな気持ちで本作を読みたい方は感想までジャンプです。

 

  

あらすじ

 

主人公は、京都の東北にある小さな寺で生まれた少年「溝口」。生まれながら吃音症であった彼は、周りから"吃りの坊主"とからかわれ、引っ込み思案な少年であった。

 

父親の死後、溝口はその遺言に従って父親の修行僧時代の友人だった金閣寺の住職の弟子となる。ゆくゆくは金閣の跡継ぎとなってほしいという両親の期待を背負って。

 

初めて見る金閣は<古い黒ずんだ小っぽけな三階建てにすぎなかった>。<こんなに美しくないものだろうか>と思う溝口。しかし、そんな金閣に溝口はやがて心酔していくことになる。

 

なぜか?

 

それは彼が生きた時代背景にある。

 

世は太平洋戦争末期。いつ空襲で自分が死んでしまうかわからない時代。金閣だって明日には燃えて灰になるかもしれない時代。この時代においては、吃音症である“醜い”自分も、美しい金閣も平等に扱われた。それが溝口には嬉しかったのである。<美と私とを結ぶ媒立(なかだち)がみつかったのだ>と。

 

だから終戦の日に、そんな金閣が空襲で焼け落ちることもなく、変わらず美しい姿でしんと屹立している姿に、<金閣と私との関係はたたれたんだ>と疎外感を感じ絶望する。

 

戦後、物資不足に世の中が混沌としていく一方で、溝口に訪れた金閣との規則正しい日々は、その疎外感を日に日に強めていった。

 

溝口のそんな疎外感を決定的にしたのが、金閣の幻想による「色欲からの隔絶」だろう。

 

女と枕を交わす際、溝口はどうしても金閣の幻想を思い浮かべてしまうのだ。金閣の絶対的な美を前に、興醒めをしてしまう溝口。そんな溝口の気後れを感じて、冷め果てた蔑みの白い眼差を向ける女。

 

女との間でそんなことが繰り返されるうちに、金閣によってもたらされてきた疎外感は憎悪へと変わっていった。<「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」>

 

やがて、自分の周りのもの全てから逃げ出したいと金閣から飛び出す溝口。そして、行く宛もなく故郷の近くの港町を放浪している時、ついにその考えが頭に浮かんでしまう。

 

<『金閣をやかねばならぬ』>

 

最初はただの思いつきだった。しかし、『金閣を焼けば』と想像した時、溝口の中で何かが解放される感覚があった。これまで隔離されてきた世の中に対して、自分の手で変動をもたらすことができる喜びがあった。溝口の中で次第に決意が固まっていく。

 

もちろん迷いも生まれた。解放された溝口にとっては、あの美しい金閣を焼かないでおくという選択肢を取れるような気もしていたからである。

 

来たる1950年7月1日。現実の世界では金閣寺放火事件が起こった運命の日。果たして、溝口は本当に金閣に火を放ってしまうのか。

 

感想:僕にとっての"金閣寺"

 

溝口が女性から受けた冷め果てた蔑みの白い眼差し。実は僕も同じ眼差しを女性から受けた経験があります。僕の最初で最後の彼女からです。

 

その時の僕は、女の子と付き合えば、ゲイは治る、正確には治らないとしても少なくとも抑え込めると思っていました。抑えこんで、ノンケとして生きていけると。

 

だから大学2年、僕が20歳の時に、ある女の子からの好意に気付いたことをきっかけに、僕の方から告白をし、付き合うことにしたのです。

 

好きという気持ちが全く無かったわけではないんです。というか本当に好きだったのかもしれません(誰かからの好意に初めて気が付いたことがとても嬉しかっただけかも)。彼女は僕が気が付いてしまうくらい感情表現がストレートで、その分もちろん性格も素直で、そしてとてもかわいい子でした。

 

でも僕が感じていた"好き"は、男女の間の"好き"ではありませんでした。

 

今考えれば、ひどい話です。でもノンケを夢見ていた僕にとって、彼女は最後の希望であり、そこにどうしても懸けてみたかったのです。

 

 

付き合って間もなくして、その彼女を下宿先に招く機会がやってきました。もちろん僕は"そのつもり"です。日にちが決まってからは、しばらく自慰行為も我慢したし、前日にはノンケ向けのアダルトビデオも見ました。一般的な"手順"を確認するためです。準備は完璧だったんです。

 

でも、だめでした。

 

女性を前にして、僕の体には何も湧き立つものがないのです。やがて、湧き立ってきたのは激しい動揺でした。準備が完璧だっただけに、それは逃げ場のないはっきりとしたものでした。

 

そんな気後れしている僕に、服を着始める彼女が向けるのです。主人公が受けた冷め果てた蔑みの眼差を。

 

あの時は、男としての自尊心が完全に失われた気がしました。

 

もちろん、元々一般的に男らしさと呼ばれるような気質は持ち合わせていなかったですから、そんなもの微々たるものでしたが、それでも僅かにあった一番根源的な部分(生物的なオスという部分)でさえも、ついには否定されたような気がしたのです。

 

いよいよ僕は向き合う時が来たのだと思いました。"それ"に向き合わなければ、僕には何も残らないのだと思いました。

 

"それ"は常に僕の目の前にあって、必死になって目を背けていた部分。

 

自分がゲイだという事実です。

 

「自分の存在を認めてくれる場所に行きたい。ゲイとして生きていこう」

 

金閣の幻想にとらわれ『金閣を焼かねばならぬ』と決意した本作の溝口が、ノンケへの幻想にとらわれ、ゲイデビューを決意した自分とどこか重なって見えたのです。

 

 

美しい日本語で有名な三島由紀夫。抽象的な表現が多くて、正直正確な意味を捉えられていない部分も多かったんですかが、読んでいると何となく「溝口」がどういう気持ちなのか、その感情が頭で再現されるような気分になりました。

 

まだ他にも気になっている作品(『仮面の告白』『潮騒』あたり)があるので、時間を見つけて読んでみようと思います。