chuckさん(id:chuck0523)。すみません、また引用させてもらいます。てのも、下記記事で紹介されていた増田(←存在を初めて知りました)でのやり取りを読んでみて、正直かなりショックを受けているからです。
こういう気持ちを解消するには「筆記開示」するのが良いそうなので(メンタリストDaiGo談)、すみませんが記事を書かせてください。
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まずショックだったのは、単純にゲイに対するトゲのある言葉たちを読んでしまったからです。
「卑怯」とか、「嘘つき」とか、「可哀そうな人たち」とか、「男の失敗作」とか。
僕がこうした言葉を聞くのは、いつだったか石原前東京都知事が、「同性愛者はどこかやっぱり足りない気がする」という発言をしたとき以来です。やっぱり普通にショックで..。
最近って、同性婚を認められる国が増えたり、日本でも同性パートナーシップ宣誓制度を開始する自治体が増えたりして、世の中が優しい方向に向かって行っているような気がしていたんです。
ゲイである僕らは直に世の中に受け入れてもらえるようになる!未来は明るい!
そんな気持ちになってました。
でもやっぱり改めて、、、
よくよく考えたら当たり前のことなんですが、世の中色んな考えを持った人がいるわけですから、その全員の意識からセクシャルマイノリティへの差別意識がきれいさっぱり無くなって、めでたしめでたし。っていうのは、あまりに出来過ぎてる話だったんだなっていうことを思い知らされました。
"受け入れてもらえない人もいるということを、受け入れなければいけない"。
少し悲しい気持ちもしますが、それが現実なんだなって思いました。
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そして、世の中の差別意識がそうやって残ってしまう以上、シスジェンダーでヘテロセクシュアルな人から、『アウティングは自衛だ!』とか、『アウティングは権利だ!』とかいう意見(※)が出てくるのも理解ができてしまいます。
きっと彼らも"多少は"わかっているんだと思います。アウティングが当事者にどんな影響をもたらすのかを。でもそれ以上に"周りから同性愛者だと思われたくない"という恐怖が勝り、自分のアウティング行為を正当化するために、前述のような主張しているんだと思います。
カミングアウトは、当事者が自分の責任においてすることです。
だから、カミングアウトされた側にその秘密を守ることを強要する権利はありません。彼らが抱えきれずに(、または面倒になって)、アウティングという手段で放り出したとしても責められないとは思うんです。
ですが数年前。一橋大学において、そのアウティングがきっかけとなり、1人の命が失われてしまったことは事実です。もしかしたら、明るみになっていないだけで、もっとたくさんの命が、これまで失われてきたのかもしれません。
もう、何が正解で、何が不正解なのか、僕にはよく分からなくなってきました。
きっと、僕らが期待しているような、理想的な世の中を実現するのは難しいのではないかと、何だかそんな気がして、どこかやるせなさを感じてしまいました。
(※)引用元